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篠原 信一

篠原 信一SHINICHI SHINOHARA
柔道家・タレント

柔道の名門天理大学入学後、才能が開花し、多くの国内、国外の大会を制覇。2000年シドニー五輪100kg超級決勝ではのちに世紀の誤審と語り継がれるフランスのドゥイエに破れ銀メダルを獲得。2003年現役を引退。引退後は天理大学柔道部の監督に就任。監督業の他に柔道の国際大会のテレビ解説も務める。2008年に柔道男子日本代表監督に就任。2012年ロンドン五輪後に日本代表監督を退任。その後は持ち前の明るい性格を活かし、バラエティー番組、情報番組に出演。日本各地で講演活動や柔道の指導にも力を入れている。

Photo:関根孝

飯沼 誠司

飯沼 誠司SEIJI IINUMA
ライフセーバー、
俳優、タレント

3歳の時、持病のぜんそくを克服するために水泳を始め、小学校ではジュニアオリンピック、高校ではインターハイに背泳の選手として出場。東海大学進学後、ライフセービング部に入部。すぐに国内の競技会で頭角をあらわし、ライフセ-ビング競技の花形種目アイアンマンレースをメインに活躍。大学卒業と同時に、アイアンマンレースのワールドシリーズ「ワールド・オーシャンマンシリーズ」に日本代表として選出、日本人ライフセ-バーとしては初めてのプロ契約を果たす。その後、全日本選手権アイアンマンレースでは5連覇という偉業を達成。98年全米ライフガード選手権5位入賞、10年世界選手権エジプト大会SERC種目準優勝など海外のレースでも数々の好成績を収める。現在は「ATHLETE SAVE JAPAN」の代表理事を務め『いのち』を守る、『いのち』を大切にする心を育む、をスローガンとし、スポーツ教室やAED講習会を中心に、子供から大人まで様々な手法で働きかけている。

Photo:関根孝

渡邉 千真

渡邉 千真KAZUMA WATANABE
サッカー
(ガンバ大阪所属)

兄の影響でサッカーを始め、2002年国見高校に進学する。1学年上の平山、兵藤らと 共に攻撃陣を引っ張っていく。2003年に全国高校サッカー選手権を制覇。2005年に早稲田大学に進学し2006、2007年には関東大学サッカーリーグ得点王となる。 複数のJリーグクラブの争奪戦となったが2009年に横浜Fマリノスに入団。新人ながら「9」番を背負い開幕戦でスタメン出場、初ゴールを記録。この年Jリーグ新人王を獲得した。2012年FC東京、2015年ヴィッセル神戸へ移籍。2018年ガンバ大阪移籍

©GANBA OSAKA

小野 裕二

小野 裕二YUJI ONO
サッカー
(サガン鳥栖所属)

Jリーグ横浜FMの下部組織出身。ユース所属時の10年7月18日、J1広島戦に途中出場し、公式戦デビュー。高校3年生ながら17試合に出場し、3得点を記録した。翌11年、トップチームに正式昇格を果たすと、高卒ルーキーながら異例の背番号10を任される。13年1月、ベルギー1部のスタンダール・リエージュに4年半契約で完全移籍した。15年7月、1部昇格のシント・トロイデンへ完全移籍した。4年間の海外挑戦を終え、2017年サガン鳥栖に移籍。レギュラーとしてチームには欠かせない存在である。

©S.D.CO.,LTD

中島 翔哉

中島 翔哉SHOYA NAKAJIMA
サッカー
(ポルティモネンセSC所属)

Jリーグ東京ヴェルディユース出身の日本期待のFW。一躍脚光を浴びたのは2016年リオデジャネイロオリンピック。日本代表の10番を背負いグループリーグ、コロンビア戦ではキーパーの頭上を抜く強烈なミドルシュートでゴールを奪った。2017年シーズンは8月より ポルトガルリーグ・ポルティモネンセに移籍し、公式戦29試合10ゴール、12アシストを記録、日本代表にも選出され3月行われたヨーロッパ遠征で代表デビューし初ゴールも記録し大活躍の1年となった。

福田 恭巳

福田 恭巳YUKIMI FUKUDA
スラックライン

高校2年時に当時やっていたクライミングのトレーニングの一環で始めたのがきっかけで、スラックラインの魅力にのめり込んでいく。2011年からから頭角を現し、2013年には世界ランキング1位となる。国内大会・世界大会に出場しながら、イベントや子供たちへの体験会などで精力的に活動している。また、同年にアスリートセーブジャパン登録アスリートとなり社会貢献活動にも従事している。

Photo:関根孝

松山 三四六

松山 三四六SANSHIRO MATSUYAMA
タレント、
ラジオパーソナリティ、
歌手、柔道家、
長野大学福祉学部客員教授

小学生5・6年生の時、全国少年柔道大会優勝。中学生の時も全国中学校柔道大会で優勝を果たし、柔道選手として将来を有望視される。明大中野高校・明治大学でも柔道選手として活躍しオリンピック金メダルを目指すが、度重なる怪我により20歳の時柔道競技の道を断念。1992(平成4)年、TV番組出演をきっかけに吉本興業入社。松山千春氏から、芸名「松山三四六」を許される。1994(平成6)年、吉本興業退社後、渡米などを経てタレント、ラジオのパーソナリティ、歌手として活動を開始する。またフジテレビ世界柔道専属リポーターとして世界の開催国を訪れている。長野大学では、社会福祉学部客員教授として教壇に立ち、小中高生や企業などの講演会は、現在までに500本を超える。また、柔道のコーチを通じて青少年の育成に尽力している。

Photo:関根孝

大湯 みほ

大湯 みほMIHO OHYU
ぬか漬けマイスター

亡くなった祖母のぬか床を絶やしたらもったいないと思い、引き継いだのをきっかけに「ぬか漬けタレント」としての活動を開始。日本の伝統文化・発酵文化を継承しつつ食育という観点で。全国でぬか漬けのワークショップやイベントを展開している。

Photo:関根孝